ミルトン・ハーシー MILTON S. HERSHEY (1857年9月13日-1945年10月13日)。米国最大のチョコレートメーカー「ザ・ハーシー・カンパニー」(商品ブランド名は「ハーシーズ」)の創業者です。
ミルトン・ハーシーは、ペンシルバニア州の貧しい農家に生まれたため、小学校も中退し、新聞社の印刷工見習いとして働き、以降学校教育を受ける機会に恵まれていません。そのせいか、公の場でスピーチをすることも、本を読むことも、手紙を書くこともしませんでした。もちろん印刷工見習いもすぐにクビになってしまいました。
その後、地元のキャンディ屋さんに勤めることになり、やがて自宅でキャラメル作りを初め、借金をして行商用の手押し車を購入し移動販売を始めます。が、ある日トローリー車に突っ込まれ大破、あえなく破産してしまいます。
一度は地元を離れますが、再び戻り「ランカスター・キャラメル社」を設立しキャラメル製造を始めます。英国への輸出卸で順調に業績を伸ばしていきます。当時、英国ではこのキャラメルにチョコレートをコーティングして小売りしており、これが後にチョコレート産業に進出するヒントになったようです。
1900年にこの「ランカスター・キャラメル社」を100万ドルで売却し、既に設立していた「ハーシー・チョコレート社」に注ぎこみます。ハーシーのチョコレートは、新鮮なミルクを使った美味しいミルクチョコレートで、広告は一切していないのに飛ぶように売れたそうです。安価で高品質なチョコレートを大量生産方式で提供したことから、同時代の自動車王ヘンリー・フォードとよく比較されます。
ちなみに会社が始めて広告を打ったのは、ミルトン・ハーシーの死後25年経ってからのことでした。
チョコレートで大成功をおさめた後、町作り、お菓子をテーマにしたテーマパークなどのアミューズメント施設作りなどを行っています。
ハーシーがチョコレートで築いた富は、約6億8000万ドル(約632億円、1ドル=93円換算)とされています。
ミルトン・ハーシーの顧問弁護士だった ジョン・E・シュナイダー氏は、こう述べています。「成功は、才能や、魔法、何か不可思議なものによると考えるのはよく見られる過ちだ。ハーシー氏の人生を見れば、成功の理由は踏みとどまり、決してあきらめないことにあることが明らかだ。」
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"Whatever money you boys earn during your lifetime, use it wisely. Spend it for the good of others, and you will be richly rewarded."
「稼いだ金は賢く使え。人のためになる使い方をすれば、たくさんの金が戻ってくる。」
"You can surmount failure. You can be battered down three times, as I was, and still come out on top."
「失敗は克服できる。私と同じように3度失敗しても、トップに立つことができる。」
"Give them quality. That’s the best advertising in the world."
「高品質の商品。それこそが世界最高の広告である。」
"My best advice to you is - when you tackle a job stick to it until you have mastered it."
「あなたへの最高のアドバイスは - 仕事に取り組むなら、マスターするまで取り組めということだ。」
"You can only make money by giving people what they want…"
「人々の欲するものを提供することでのみお金を稼ぐことができる。」
"If I rest, I’ll rust."
「休んだら、私は錆びついてしまう。」
"My success is the result of not being satisfied with mediocrity."
「私が成功したのは、凡庸であることに満足しなかった結果だ。」
"When I started making chocolate I didn’t follow the policies of those already in the business. If I had, I would never have made a go of it."
「チョコレート製造を始めた時、チョコレート産業の従来のやり方には従わなかった。もし従っていたら、私の成功はなかっただろう。」